2017年10月30日月曜日

私のキャリアを変えた製品のはなし

はじめに

会社に入ってから8年間、主にテスターの前でうんうんうなっている生活をしてました。そろそろいい加減に生活を変えたいと思い始めていた頃、縁があって結婚することになりました。そしてそれと同じ時期に、ある製品の開発に関わることになりました。

これから何度かに渡って、その思い出深い製品の開発について書こうと思います。筆者にとっては、その後のキャリアを大きく変えたと思える経験で、この製品がなければその後の会社生活も随分違ったものになっていただろうと思います。

1997年、とあるお客様の携帯電話向けのASICを開発するに当たって、若い実務担当者をただ見ていてくれれば良いので、取りまとめるように、という指示があって、製品開発チームに入りました。

製品仕様を見てびっくり。お客様の論理と8ビットマイコン、そして32ビットのDSP機能付きマイコンとその他マイコン周辺機能という盛りだくさんの構成でした。今でこそマルチコアの製品は珍しくありませんが、0.35ミクロン、今風の言い方だと350nmプロセスの世界でこういう盛りだくさんな構成の製品は他に見たことがありませんでした。

そして何よりも、これからどんどん市場が大きくなって行き、技術的にハイレベルとだろうと思っていた携帯電話向けの製品、そしてお客様が当時の日本のエレクトロニクスをリードしていた品川のお客様。

いくら見ていてくれれば良い、とは言っても、初めて経験する製品開発の取りまとめ業務ということもあって、不安と期待が入り交じる気持ちを抱いたものです。クリスタルキングの大都会のような心境ですね。古い話で申し訳ありません。

2017年8月7日月曜日

番外編〜8bit MPUの時代・どうして半導体屋になったのか?

はじめに

2016年6月にスタートしたこのブログ、2017年7月末に10万アクセスを頂きました。非常にありがたいことです。いつもありがとうございます。感激しています。

今回は、10万アクセス記念というわけでもありませんが、いつもと毛色を変えて、番外編として、筆者が半導体メーカーに就職することを決めたきっかけを書こうと思います。

筆者が半導体に興味を持ち始めたのは、学生時代のパーソナルコンピューターとの関わりがきっかけでした。

2017年6月10日土曜日

実機評価でバグ発見! 〜 オーディオI/F編

はじめに


筆者がいたASICの世界では、製品の仕様から論理設計はお客様の担当、論理設計から先が半導体メーカーの担当、という分担となる場合が多いです。

そのようなビジネスの場合、デバイスがお客様が作成したテストベクタ通りに動くことは半導体メーカーで確認できますが、仕様として正しく動くかどうかを確認するのはお客様の担当となります。

製品仕様をお客様が策定する場合、動作仕様を正しく半導体メーカーが理解するのは無理なんです。

そのような製品開発では、半導体メーカーの試作評価は、製造テストをにらんだLSIテスターのみ、ということになり、実装機を使った実使用条件での評価は行いません。

このようなASICの世界にいた筆者ですが、以前「2相クロックの罠」のエントリーで書いた評価用チップの評価以外に、2製品で実装機評価を担当したことがありました。そしてその2製品で、担当した機能ブロックにバグがありまして、まるで当時から将来このような記事を書けと言われていたかのような歩留まりの良さ(笑)でありました。

その2製品のうち、片方は筆者がバグを発見、片方はバグを発見できず、お客様の評価でバグが見つかった、という状況でした。

今回のエントリーでは、私がバグを見つけた、という製品について書きます。オーディオI/Fに潜んでいた、非同期のクロックドメインをまたぐデータ転送のバグに関する話です。

2017年4月11日火曜日

半導体とお風呂の関係とは・・・?

はじめに

タイトルをご覧になって、何のこと?と思われる方も多いと思います。しかし半導体業界でデバイス開発寄りの仕事をしていた方なら、あー、なるほど、と思われるかも知れません。

後ほど種明かしをしますので、ちょっとお待ちを。

先日、「モニターバーンインの知見をお持ちですか?」というお問い合わせをいただきました。ありがとうございます。

モニターバーンインという言葉は、モニターという言葉とバーンインという言葉を繋げたものですが、モニターはいいとして、バーンインっていう単語、これは一体何ですか?というお話から、今回のエントリーを始めていこうと思います。

ちゃんとお風呂と話がつながりますからご安心を。

2017年2月22日水曜日

国際救助隊出動す!・・・ん?

4回目のエントリー「レイアウト設計でawkのお世話になった話」の話の頃、ちょうど1992年から93年頃の、青森県五所川原市勤務の時代に遭遇した、量産立ち上げトラブルの「救助活動」のことを書こうと思います。

ASIC/ロジック系製品の設計拠点立ち上げを目的として、1992年の秋頃から、筆者を含めて3名が青森県五所川原市の田んぼの真ん中に立っていた事業所に転勤し、拠点立ち上げの準備として色々な設計環境整備とか、東京から飛んでくる指示に従って色んな作業をしたりしていました。

そんなある朝、東京から「青森から羽田経由で函館へ行け!今すぐに」という指示が筆者に飛んできて、急遽飛行機を手配して出張に出かけたのでした。